enomaro’s blog

記録的な

精神病院に入れてやる 3

母は私が家を出る前から寝言がひどかった。私の部屋まで叫び声が聞こえていた。10年以上前か、レム睡眠行動障害からのレビーになった人の行動障害は20年前からあるらしいとネットでみたのでもっと前からあったかもしれない。あまりにもひどいので病院にかかったほうがいいと言ったが断られた。母はレム睡眠行動障害ではないかと思っていた。気がついたら2階から1階にいたこともあると話していたため、睡眠外来にかかるように言ったが薬を飲みたくないと断られた。放っておくと認知症になるリスクが高いこともフワッと伝えた気がしたが機嫌を悪くされた。本人が行きたくないなら仕方ないと放っておいたが今考えると私が病院に無理にでも連れて行ったほうがよかったのではないかと思う。

 

母の隣で寝たが寝言が聞こえるくらいで何も起こらなかった。

父は眠れたようだった。次の日母の大腸検査の予約を病院にいってとらなければならないと聞いたので付き添いをかわろうか聞いたが断られた。

食事は父が作っていた。父は昼と夕食の時間が近づくにつれ機嫌が悪くなる。献立を考えるのがストレスなのか、糖尿病のため血糖値が下がってイライラしているのかよくわ辛いが。父は仕事を辞めてから料理をよくするようになっていたが、味のこととか何を入れたらいいのかいちいち母に聞いていた。料理ができたらこんなに簡単にできたのかとかするが褒めたりすると調子にのって馬鹿にしてくるらしい。一緒に料理をすることはできないタイプで邪魔だとかどけとか平気でいいう。一汁一菜では我慢できず色々食材を出すらしい。父は医者にお酒と禁煙しないと死んでしまうなどと言われたらしくその反動で食べることにいってしまった。糖尿病の検査の前は間食を控えているが、確か検査前に控えてもあまり意味ないと思う。

 

母は家の中では食事や排泄などは自立しており歩行も特に危ないところはなかった。家の階段が急すぎるため手すりを使って今のところ問題ない。湯たんぽを入れたりお風呂を入れたり洗濯したりしている。洋服からトイレの紙が出ていたことが一度あったきりだ。父と母は仲がいいとはいえなかった。私が実家から出る前は犬がいた。私がうつ病再発しておかしくなっていた時にやってきた。父と母の仲をがつないでいたと思うが、1年半前に死んでしまった。2022年の春頃急に心臓を悪くして8月に急変して死んだ。両親はみっこたんが急変した時どうするか話し合っていなかった。なのでみっこが急変した朝、母から電話がかかってきたがかかりつけの病院もやっていないし父はアルバイトで家にいないしどうしたらいいのかわからないと電話がかかってきた。私はタクシーで実家に向かったが、今思えばネットで朝方やっている動物病院を探してそこにかかるよう手配すれば2時間も苦しい思いをせずにみっこたんはすんだのかもしれない。「みっこたんが死んじゃったー」わああんと泣く母が私の顔を見ていったことが印象的だった。冷静になって後で探したら朝7時くらいにやっている動物病院が一つだけ見つかった。なんで気づかなかったんだろうか。

 

みっこたんがいなくなって両親は2人きりの生活になった。その生活に母は愚痴を言っていた。父がささいなことで怒鳴る、嫌味な言い方をする、友達の家に遊びに行くと不機嫌になる、食事の支度をやってくれと言っていないのにイライラしながらやり味付けはどうだとか聞いてくる、母が作ると遅いとか食事の悪口をいう、怒鳴った後は声色を少し変えテレビの話をしてきたりするが謝らないなど。離婚したらと言ったことがあるがお金がないからできない。家で別々に過ごしたらいいのではとか食事は別々に作るとか提案しても無駄だった。父と母の問題だから私は放っておいた。文章で書くとなんてひどい人なんだろうかと思う。父に私がうつ病になった時にお前の人生は終わりだと言われたことは忘れられない。母いわく父は獅子の子落としというライオンは自分の子供を崖から突き落としてはい上がってきたものを育てるという気持ちで言っていたという。父もそういう風に育てられたようだ。